
私の原点 〜家族への思い〜
幼い頃に見た、景色一面を染める暖かい夕焼け空の色。
私の子供の頃の家族には、色が見つかりません。色みの無い色。
外から見られている幸せな家族とはかけ離れていく嘘がいっぱいの家族。
理想の家族って…もっと違う。もっと単純なもの。
なんて小学生の頃から考えては、大人の目の動き、
大人の嘘に敏感な子供だったことを覚えています。
やがて、嘘が形となって現れてからは、感情と意識を分けて振る舞い続け、
10代になると、今から思えば思春期ならではの、「本当の私って何!?」と、
自分が何者かが分からず、
日々そんな問いかけを繰り返しては答えが見つからない、
誰といても何をしていても空虚な、悶々とした毎日。
何でもかんでもポジティブ思考の今の私からは、想像し難い10代で、
振り返ることすらなかったのですが、この頃の、
たとえ間違った方向を向いていようと、エネルギーの全てで、
ひたすら考え感じ続けていたこと、ここに、今、
私が生涯続けていきたいと思う仕事の「原点」があります。
人を頼れず人を受け入れず、
ただ着ている鎧もいっそう固く重くなっていた高校卒業前、
あきらめたくなくて、変わりたくて、遠く離れたところに行きたくて、
そんな大義名分のためだけに、大学案内をパラパラとめくって見つけたのが
“「人間とは何か」を探究する”という文字でした。
悶々としていようが何であろうが、前を向くと、出会いがあるものです。
ここで、『生成の社会学』を探究する教授と出会い、
自分と他人との「“あいだ”にあるもの」を抜きに心は語れない~等々、
教授との会話は、常に実感を伴い、次第に、
悶々としていたことの答えも自ずと見つかっていき、気が付けば、
自分が思う自分と人が思う自分とのギャップとか、心の内と外とかに
こだわることすらなくなりました。
そんな狭い2分法にはおさまらないところに答えはあって、
鎧も壁も突破られ、誰でもない自分、
新たな自分と出会うまでに時間はかかりませんでした。
幼い頃に見た暖かい夕焼け空の色、それは、ふと、
家族の笑い声が聞こえるところ、家族の匂いを感じるところを通る度に、
何度となく思い出され広がる色でした。
あきらめたくなかったのは、夕焼け色の家族への思い。
いつかそんな家族をつくるため、家族でいるために、
今、私自身がどう生きていくか、
それが、その頃から今も変わらない私の軸です。
家族、それは私たちが最初に出会う社会です。
人は、何かと誰かと関わって生きていて、社会と共に人は生きています。
子どもは、人との関わりの礎を、家族や、共に生活をする人、
身近な人との中で学びます。
社会のルールを守れているか、他と比べてどうか、という大人の視線のもとで、
子供は、期待されている役割を受け入れようとし、役割の枠に縛られることで、
互いの安心感を得ようとします。
でも、それだけでは、社会に出てもなお、内側と外側とを分け隔てる枠の中
でしか安心できず、何かしらの枠を作らなければ生きていけません。
もし、子供自身の成長のルールを発見して、
長い目で見守ってくれる大人の視線のもとであれば、子供は、
固定した枠を超えて広がる自分の可能性を信じることができます。
人と人との関わりで大事にしていきたいことは家族の中だけに止まりません。
子供から大人へ、家族を超え、そして社会をも超えることのできる、
人と人との関わりへ。
私は、誰もが自分の可能性を信じていけることに、これからもずっとスポットを
あて続けていきたいと思っています。
冒頭に、色みのない家族と書きましたが、
幸いにも、私にはずっと心の記憶の色がありました。
暖かい夕焼け空の色、それは、幼い頃、近所のお兄さんお姉さんたちと、
初めて遠出をした公園からの帰り道に広がっていた色です。
この時の私が帰る家、待っていた家族は、まさしく
暖かい夕焼け空の色をしていたのだと思います。
いろいろありましたが、今では、今年他界した父と、
今も尚ずっと見守ってくれている母に、感謝しています。
(2012.07.01 旧色彩生涯教育協会HP 教室案内に掲載)